次の日も、気がつくと足があの場所へ向かっていた。
少女が「またね」と言っていたからだ。
その時のことを思い出して、思わず苦笑する。帰り際、大きな――といっても、あれ
が普通のはずだった――人間が部屋に入ってくると、変な人間は、再び皿に頭から突っ
込んでいた。大きな人間も笑っていた。
「あ、来てくれたんだね」
再び、小さく開いた窓から身体を中へ滑り込ませると、変な人間は、喜びを身体で表
現するかのように、小さく羽を揺らした。
「ミルク、用意してあるよ」
トン、と床を蹴り、彼女は台所へと滑空していく。その後を追ったが、やはりという
か……変な人間は壁に激突した。
「い……いたい……」
かける言葉もなく、先に上に登り、ミルクに口をつける。
しばらくしてから、ようやく追いついた変な人間が、そっと首に手を伸ばした。一瞬、
またその手から逃れようかとも考えたが、ミルクを飲みながら、じっとしていることに
する。手が触れても逃げないのを確認すると、変な人間は「ありがとう」と言いながら、
何度も首を撫でていた。
「ぜんぜん思い出せないの?」
昨日よりは多くのミルクを飲み、一息ついていると、尻尾にじゃれついていた変な人
間が、こちらを見ずにそう尋ねた。
「ほとんど、思い出せない」
「なら、少しは覚えてるの?」
「少しは……な」
小さな変な人間は、ようやく尻尾から手を離した。
「それよりも、おまえはいったいなんなんだ?」
何度目かの質問を、繰り返す。答えが変わるとは思っていなかったが、自分の過去に
ついてこれ以上聞かれたくはなかった。
「私はフォーニ。音の妖精だよ」
予想に反して、返ってきた答えは違うものだった。
「それはなんだ? わからない。それに、人間の言葉は上手く話せない」
「フォーニが私の名前。妖精っていうのは……」
小さな人間――名前は、フォーニか――は、困ったように首を傾げる。
「不思議な存在……かな?」
思わず納得した。
「確かに」
フォーニは、慌てて付け加える。
「ち、違うよ? ほんとの妖精は、もっと、ちゃんとしてるよ?」
今度は、さっぱり意味がわからない。
「あー……そうじゃなくて……うーん、まぁ……それでいいかな」
奇妙な納得をしながら頷き、フォーニはその場で腰を下ろした。
そのすぐ背後には、自分の腹があり、それにもたれかかるように、フォーニは身体を
傾ける。
「ありがと……気持ちいいね」
されるがままになっているが、それほど不快ではなかった。
「どんなことを覚えてる? 小さなことでもいいから、話してよ」
「本当に、ほとんど覚えてないんだ」
「それでもいいから」
フォーニに促されるように、ぽつりぽつりと、話し始める。
それは、石畳の床に雨の一粒一粒が染み込んでいくように、次第に自分の心にも浸透
していくようだった。言葉にすることで、朧気な記憶が、形を成していく。
あれは、小さな家だった。
それと、小さな女の子がいた。
首にはうっとおしい布が巻かれていて、その先についた小さな鈴が、いつもうるさか
った。
少女の顔は思い出せなかったが、記憶の中で、彼女は笑っていた。
そんな、小さな記憶が浮かんでは消えていく。
そして――唐突に悟った。
「ああ……そうか。捨てられたんだな」
腹にかかる重みが、かすかに増した。フォーニは身体を捩り、顔を腹に埋めている。
「もういいよ……今はもう、思い出さないでいいから」
「そのつもりだ」
それからしばらくフォーニは黙っていたが、唐突に起き上がり、陽気な声で歌い始めた。
言葉を話すときとはまるで違う響きで、フォーニは朗々と歌い上げる。
即興で作っているのか、リズムはめまぐるしく変わり、旋律も、時とともに変化して
いく。
ちくり――と、どこかが痛んだ。調子の外れた、歌ともいえない、少女の声が聞こえ
た気がした。

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